満州事変とは,日本軍が満州で南満州鉄道の線路を爆破し,中国に対して攻撃をしかけて,満州を占領したできごとです。 日本は1930年ごろ,世界恐慌の影響で大変な不景気でした。 中国の東北部にある満州は,日本にとって鉄鉱石や石炭などがとれる原料供給地でした。 当時すでに日本は,満州でのさまざまな有利な権利... 詳細表示
1159年,藤原通憲(みちのり)と藤原信頼(のぶより)の権力争いが原因で「平治の乱」が起こりました。 通憲には平氏(清盛など)が,信頼には源氏(義朝など)がついて,平氏と源氏の戦いになりました。 この戦いは平氏が勝利し,源氏のおもな武将は殺され,幼かった源頼朝は伊豆(いず)に流されました。 一方... 詳細表示
【社会】土一揆(つちいっき、どいっき)・国一揆・一向一揆の違い
一揆は、「どの時代におきたか」、「どんな人々が中心になっていたか」、「どんな目的でおきたか」・・・などによって、いろいろなかたちでよばれています。 室町時代から戦国時代にかけておきた一揆のよび方をまとめると次のようになります。 詳細表示
2つの法律は,アメ(普通選挙法)とムチ(治安維持法)の関係にたとえられています。 ■アメ(普通選挙法)…大正デモクラシーのなかで求められていた「普通選挙」を実現させました。 ↑ ↓ ■ムチ(治安維持法)…社会主義運動(とくに共産主義運動)を厳しく取り締まり,自由な発言ができない... 詳細表示
満州(中国東北部)への進出をねらっていたロシアが,日本が遼東(リアオトン)半島を得たことに,強い 危機感を抱いたからです。 日清戦争で勝利した日本は,下関(しものせき)条約を結び,その中で遼東半島の主権を獲得しました。 そのころ,ロシアは貿易のための不凍港(ふとうこう:冬になっても凍らない港)... 詳細表示
関ヶ原の戦いは,豊臣秀吉の死後に,力をつけて政権をねらう徳川家康と,それを阻止しようとする石田三成(いしだみつなり)が対立して起こりました。 徳川家康は三河(現在の愛知県)の小大名でしたがしだいに勢力をのばし,豊臣秀吉の時代に功績をあげて関東に大きな領地を与えられ,有力な大名になりました。 一方,石田三成... 詳細表示
「座」は,鎌倉時代・室町時代につくられた商工業者の同業者団体です。公家(くげ)や寺社の保護を受け,営業を独占する権利が認められました。 「株仲間」は,江戸時代につくられた商工業者の同業者組織です。幕府や藩の許可を得て,営業を独占する権利が認められました。 [座:鎌倉時代・室町時代が中心] 平安時代の末ご... 詳細表示
参勤交代によって大名の財政を圧迫し,幕府にはむかう力をつけさせないために行われました。 ■参勤交代とは 1635年,3代将軍徳川家光のときに,武家諸法度(ぶけしょはっと)に追加された制度です。 「一 大名は,江戸と領地を交代して住むことを定める。毎年4月中に江戸に参勤すること。」 ※武家諸法度とは16... 詳細表示
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明を征服することをくわだてた豊臣秀吉は,朝鮮に対して,日本に服従し,日本軍を明まで案内し,ともに明と戦うよう申し入れました。 しかし,朝鮮はこれを拒否しました。 このため,1592年に秀吉は朝鮮に出兵しました(文禄の役)。日本軍は漢城(ハンソン:現在のソウル)を占領し,さらに進軍しまし... 詳細表示
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