回答はこちらです。幕府からの恩賞が不十分で、御家人の不満が高まったからです。 将軍と御家人は「御恩と奉公」の関係で結ばれています。実際、1221年の承久の乱では、御家人は団結して幕府のために戦って勝利し、幕府も御家人の働きに対して領地を分け与えるなど、恩賞でこたえました。しかし・・・ ... 詳細表示
関ヶ原の戦いは,豊臣秀吉の死後に,力をつけて政権をねらう徳川家康と,それを阻止しようとする石田三成(いしだみつなり)が対立して起こりました。 徳川家康は三河(現在の愛知県)の小大名でしたがしだいに勢力をのばし,豊臣秀吉の時代に功績をあげて関東に大きな領地を与えられ,有力な大名になりました。 一方,石田三成... 詳細表示
浄土宗の教えを発展させたものが,浄土真宗です。 浄土宗と浄土真宗の違いは,次のとおりです。 ■ワンポイント 浄土宗が「念仏を熱心に唱えることによって,だれでも往生できる」と教えを説いているのに対して,浄土真宗ではさらに発展させて「阿弥陀仏の救いを信じるだけで,善人はもちろん悪人のほうこそ当然往生... 詳細表示
「惣」も「座」も,室町時代に民衆の間で発達した組織ですが,「惣」が農民たちの組織であるのに対し,「座」は商工業者の同業組合です。 ■惣 室町時代に,農民たちが村ごとにつくった自治組織。 寄合を開いて村ごとのおきてを定め,共同で農作業を行った。 また,荘園(しょうえん)領主や守護大名... 詳細表示
明を征服することをくわだてた豊臣秀吉は,朝鮮に対して,日本に服従し,日本軍を明まで案内し,ともに明と戦うよう申し入れました。 しかし,朝鮮はこれを拒否しました。 このため,1592年に秀吉は朝鮮に出兵しました(文禄の役)。日本軍は漢城(ハンソン:現在のソウル)を占領し,さらに進軍しまし... 詳細表示
「自作」とは自分の土地を耕作すること,「小作」とは小作料を払って他人の土地を借りてそこを耕作することです。 自作農家,自小作農家,小作農家の意味はそれぞれ次のとおりです。 ■自作農家 自分で土地を持ち,耕作して生活をしている人 ■自小作農家 自分でも土地を持ち耕作して... 詳細表示
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「領土」をめぐって,イタリアとオーストリアが対立していたからです。 第一次世界大戦(1914~18年)が始まる以前から,イタリアとオーストリアは「未回収のイタリア」という領土問題をかかえて対立していました。 19世紀の前半,イタリア半島にはいくつかの国があり,北部はオーストリアが支配していまし... 詳細表示
五・一五事件と二・二六事件の違いは,次のとおりです。 五・一五事件と二・二六事件を経て,軍部は政治への発言力を強めていったことを押さえておきましょう。 詳細表示
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