当初は,室町幕府将軍の権威を利用しようとしていましたが,徐々に敵対関係になっていったため,将軍を追い出したのです。
織田信長が足利義昭と上洛(じょうらく=京都に行くこと)する3年ほど前の1565年,当時は義昭の兄が第13代将軍でしたが,京都で力を持っていた戦国大名によって殺害されてしまいます。 戦国大名(三好氏や松永氏など)は,義昭のいとこを第14代将軍にし,傀儡(かいらい=自分たちの思うままに動く)政権にしてしまいました。
そのようななかで,足利義昭は自分こそが後継者であり幕府を再建しなければならないと思ったのです。 いろいろな戦国大名に支援の要請をしますが,そのなかで実際に協力を申し出たのが,急速に力をつけていた織田信長でした。
信長のほうも,正式な後継者である義昭とともに京都に入り(1568年),室町幕府を立て直す援助をすることで,人々にその力を見せつけようとしたようです。
つまり,当初は信長も,将軍の権威を利用しようとしていたわけです。
第15代将軍となった足利義昭は,当初は信長にたいへん感謝し,良好な関係でした。 しかし,傀儡のままにしておきたい織田信長と,自ら政治手腕を発揮したい足利義昭は徐々に敵対関係に なっていきます。
義昭は,自分に従わない信長に対し,武田信玄や朝倉氏,浅井氏といった有力大名に呼びかけ,信長包囲網とよばれる勢力関係をつくって信長を追い詰めるところまでいきました。
将軍を擁立(ようりつ=援助して立てている)する必要性を感じられなくなった信長は,とうとう1573年,足利義昭を京都から追い出し,室町幕府を滅ぼしたのです。
[注意]
将軍=征夷大将軍は朝廷が任命しますので,信長が直接任命したのではありません。
信長から働きかけがあったのでしょうが,実際に任命したのは朝廷です。