「三国干渉」は日清戦争後に行われた日本に対しての要求です。
「三国同盟」「三国協商」は第一次世界大戦前のヨーロッパの対立関係です。
■三国干渉
1894年,朝鮮をめぐって以前から対立していた日本と清(中国)は,日清戦争を始めます。この日清戦争で勝利した日本は,1895年に下関条約を結び,遼東(リアオトン)半島や台湾などを清から譲り受けました。
これに対して,東アジアでの勢力拡大をねらっていたロシアが,ドイツ・フランスとともに,日本に遼東半島を清に返すように要求してきました。これを「三国干渉」といいます。
■三国同盟・三国協商
同じころ,ヨーロッパでは各国が海外進出をめぐって対立し始めます。その中でまずドイツが1882年にオーストリア・イタリアと「三国同盟」を結び,工業生産力を強めて海外進出に乗り出します。
これに対抗するために,フランスはロシアとまず同盟を結び,その後イギリスとフランスが英仏協商,イギリスとロシアで英露協商をそれぞれ結ぶことにより,この3国の間で「三国協商」が成立しました。
この「三国同盟」と「三国協商」の対立が第一次世界大戦へとつながっていきます。ただし,「三国同盟」に加わっていたイタリアは,第一次世界大戦ではイギリスやフランスとともに連合側で参戦しました。