1159年,藤原通憲(みちのり)と藤原信頼(のぶより)の権力争いが原因で「平治の乱」が起こりました。
通憲には平氏(清盛など)が,信頼には源氏(義朝など)がついて,平氏と源氏の戦いになりました。
この戦いは平氏が勝利し,源氏のおもな武将は殺され,幼かった源頼朝は伊豆(いず)に流されました。
一方,平氏のリーダーの平清盛は,やがて武士として初めて太政大臣(だいじょうだいじん)になり,政治の実権を握りました。
ところが,平氏は自分勝手に政治を動かすようになったので,平氏に不満を持つ者が増え,平氏を倒そうとして兵を挙げる武士も現れるようになりました。
このような風潮の中で,成長した源頼朝は鎌倉を拠点にして力をつけ,平氏を倒すために挙兵したのです。
ここから源氏と平氏の戦いが始まりました。これが「源平の争乱」です。
壇ノ浦(だんのうら)の戦いで平氏が滅亡した後,源頼朝は鎌倉幕府を開きます。
以後,江戸幕府が倒れるまで,武士の政治が続くことになります。