南北朝時代は,天皇が2人いました。この間,政権は北朝が握っていました。
【背景】
建武(けんむ)の新政(しんせい)で,後醍醐(ごだいご)天皇が天皇中心の政治を行い,公家(くげ)を重視したため,武士たちの不満が高まりました。
そこで,足利尊氏(あしかがたかうじ)が武家政権を目指して兵を挙げ,別の天皇を立てて京都に幕府を開きました。
一方の後醍醐天皇は吉野に逃れ,そこで朝廷を続けました。
【体制】
■北朝
[天皇]光明(こうみょう)天皇(1336年に足利尊氏が即位させた)から後小松(ごこまつ)天皇まで
[場所]京都
■南朝
[天皇]後醍醐天皇から後亀山(ごかめやま)天皇まで
[場所]吉野(よしの:現在の奈良県)
北朝と南朝の対立は,約60年間続きました。
この間の政権は,幕府のある「北朝」が握っていましたが,足利氏の内紛や荘園(しょうえん)の混乱などがあったため,対立が長引きました。
【合一】
1392年,3代将軍足利義満(よしみつ)の勧めにより,南朝の後亀山天皇が北朝の後小松天皇に譲位することで,南北朝の合一が行われました。