「幕藩体制」は,江戸時代の「幕府」と「藩」による支配のしくみです。
「藩閥政治」は,明治時代に「特定の藩の出身者」が政治の中心になったことです。
■幕藩体制
「幕藩体制」の「幕」は,「幕府」の「幕」です。
「幕府」は武士による支配のしくみで,支配の頂点に立つのが「将軍」です。将軍(幕府)は,自分が直接治める土地を持っていました。幕府が直接治める地域を「幕府の直轄領(ちょっかつりょう)」「幕府領」などと呼びます。
一方,武士のなかで将軍から1万石以上の領地を与えられた者を大名といいます。大名の領地を「藩(はん)」と呼び,江戸時代には薩摩藩,長州藩など,たくさんの藩がありました。大名は,幕府に支配されながらも,自分の藩の中は自分で治めることができました。
江戸時代には,このようにして,全国の土地と人民が「幕府」と「藩」によって支配されていました。このような支配のしくみを「幕藩体制」といいます。
■藩閥政治
明治維新は,薩摩藩(現在の鹿児島県)・長州藩(現在の山口県)・土佐藩(現在の高知県)・肥前藩(現在の佐賀県)の4つの藩を中心にして行われました。明治政府のメンバーも,この4つの藩の出身者(とくに薩摩藩・長州藩の出身者)が大部分を占め,政治の実権を握るようになりました。
このように,特定の藩の出身者による政治を「藩閥政治」といいます。
後に,藩閥政治を批判して「自由民権運動(明治時代)」や「護憲運動(大正時代)」がおこりました。