関ヶ原の戦いは,豊臣秀吉の死後に,力をつけて政権をねらう徳川家康と,それを阻止しようとする石田三成(いしだみつなり)が対立して起こりました。
徳川家康は三河(現在の愛知県)の小大名でしたがしだいに勢力をのばし,豊臣秀吉の時代に功績をあげて関東に大きな領地を与えられ,有力な大名になりました。
一方,石田三成は豊臣秀吉が信頼していた家臣でした。
豊臣秀吉の死後,徳川家康はさらに力をつけて政治の実権を握るようになってきたため,豊臣氏の政権を守ろうとしていた石田三成と対立します。
そして全国の大名たちが徳川家康の側(東軍)と石田三成の側(西軍)のどちらかについて戦い,最終的に関ヶ原(現在の岐阜県)で家康軍と三成軍が合戦を行ったのが関ヶ原の戦いです(1600年)。
この戦いは,歴史上珍しくたった1日で決着がつき,徳川家康軍が勝利しました。
その後,1603年に徳川家康は朝廷から征夷大将軍(せいいたいしょうぐん)に任命され,江戸に幕府を開きました。