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  • 公開日時 : 2017/01/20 00:00
  • 更新日時 : 2021/10/07 16:44
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【社会】日米和親条約とアヘン戦争について

どうして「日米和親条約」を結んだのが,アヘン戦争後だったのですか。
アヘン戦争でイギリスが勝ったことと何か関係があるのですか。
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回答

日米和親条約とアヘン戦争には,直接的な因果関係はありませんが,アヘン戦争で清国が敗れたことは,当時の日本の鎖国政策を大きく変えるほどの危機感を呼び起こしたといえます。

18世紀半ば以降,急速に産業を発展させた欧米諸国は,アジアへと進出していきます。
そうしたなかでアヘン戦争が起こり,イギリスに敗れた清国は,1842年に香港をゆずり渡す内容を含む南京条約という不平等条約を結ばされます。
これを知った日本は,強大な武力を持っている外国を拒否し続けることは難しいと考え,1842年に異国船打払令(いこくせんうちはらいれい)をやめ,外国船に燃料・水・食料などの補給を許したのです。
こうして,開国への道は少しずつ開かれ,ペリーの浦賀来航を機に1854年日米和親条約を結ぶことになります。